東儀さんの本をやっと読み終えた。
で、CDも2枚買っちゃったんだけど。
なんか、引かれるんだよねぇ、東儀さんにも。
本は、すごい、おもしろかった!
雅楽のことが、詳しく書かれてあって、勉強に
なったし、東儀さんの考え方とかこれまでの
生い立ちなどもわかって、興味津々で最後まで
読んだし。
やっぱ、東儀さんも普通じゃなかった。天才って
いうのかなぁ。野村萬斎さんにも共通するところが
あるなぁって感じたんだけど。
東儀さんが2回も死にかかってるなんてねぇ。

最後の方に、東儀さんの曲などを聞いて、精神的に
癒されたり、病気が治ったりするのは、体が細胞
単位で反応してるからじゃないか、って書いて
あった。今、人間は、機械に頼ったり自然を
自分たちのものだと思ったりしていて、そういう
おごりや過信が、人間本来が持っているはずの力
や感性を脆弱なものにしてしまったのではないか
とも書いてあった。
そうなのかもしれない。
私が大好きな平安時代の人々は、たいして便利な
世の中でもない時に生まれたが、現在にはない
素敵な習慣や感覚を持っていて、とても楽しい
暮らしを送っていた。身分の差は、あっただろうが
貧しくとも、歌を詠むことはあっただろうし、感性
は、今の私たちより優れていたとだろうと思う。

そうなのだが、私たちの中に、そのような感覚が
もう全くない、というのではない。世間の忙しさ
などで、働かせる機会がなくなっているだけで、
昔ほど豊かではないにしても、それぞれ素敵な
感性が心の奥のほうにあるのだと思う。
忘れられているだけで、消えてしまったわけでは
ないのだと思う。
そのような状態で、ふと、古典に触れた時、心が
ふわふわっとしたら、それはかつての感性が
目を覚まそうとした合図なのではないだろうか?
東儀さんもおっしゃっていたが、DNAというものが
あるのだから、ずーっと昔から受け継がれたものが
あるはずで、人によっては、すばらしい感性が
潜んでいるかもしれない。
そこで、私は、お!っと思った。
私は、なぜ、自分が古典芸能に興味津々なのかが
わからなくて、困っていたのだが、少しわかった
気がした。DNAの中に、インプットされている
何かが体を通して、自然と現れているのではないか
なぁっと。そう考えると、楽しく、うれしい気分に
なってしまった♪でも、ありえるよね。
きっと、私の中には、古典芸能に対する感性が
眠っていて、それが、高校3年のとき、テレビで
見た野村萬斎さんをきっかけに、ふつふつと
出てきているのだ!わぁーい。
これからも、どんどん古典芸能を見て、触れて、
忘れられていた感覚を取り戻し、風流な人に
なっていきたいと思う!(にこっ)

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